サバンナの人々の生活感覚の中で、樹木は(そして、私もそれに共感するのですが)閉じた一個の物体ではなく、宇宙のさまざまな要素が、鳥、虫、月の光、雷、大地、人間から祖霊や精霊にいたるまで、空間と時間を横切って相逢い、呼びかわし、交錯する開かれた場、しかし散漫な系ではなく、無数のベクトルがはげしく集中する点であるように思います。
樹は寡黙ですが、音を欠いているわけではない。樹にもお喋りな樹と無口な樹がありますが、しかしそうした差異をこえて、樹はひかえめだが常に音をまとっています。あるいは、樹と人間も含めた他の生き物との伝えあいの媒体が、樹のまわりにはいつも流れているというべきでしょうか。
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伝えあいということ、とくにいわゆる言語による伝達に限定されない、また人間対人間に限定されない伝えあいということに私が心を惹かれるようになったのも、樹や鳥や虫や雨や、死者や精霊が、圧倒的な力をもっている世界での人間生活、それも人間としてよくわかりあえるというわけにはなかなかいかなかった人たちの中での、もどかしい言語生活の六年を生きたからではなかったかと思います。
ー 樹、そして伝えあい -p87~
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