ふつう、受動形と能動形は相互関係にある。
私は彼を応援した、というのと、
彼は私に応援された、というのは、同じ意味である。
けれど、ともに暮らす生きものと私の場合は、そうならない。
ともに暮らす生きものは、べつに私たちを救おうとなんて思っていない。
ただそこにいるだけ。
いっしょに暮らしているだけ。
彼らが私たちを救うのではなく、でも、私たちは救われている。
~
ふわふわの毛の奥の奥には、
人とも動物とも区別のつかない、すごく神聖で神々しくて、
同時に下世話で単純で脆弱な、何かがいるのではないか。
もしトトの寿命が尽きたとしても、
その何かは消えることなくどこかに舞い戻って、
また何かのかたちを借りてやってくるのではないか。
たましいというものを私は以前から根拠なく信じていたが、
このちいさな生きものがやってきてから、
またべつの意味合いでもって、そんなことを信じるようになった。
_あとがき_より
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