ある女性が旅先で偶然、教会に立ち寄る。扉が開いていて、彼女は中に入る。聖堂には誰もいない。説教台のところには聖書が開いておいてあった。これまで聖書など繙いたこともなかったが吸い寄せられるように近づき、読み始め、気が付いてみたら一時間ほど経過していた。
このときの様子を彼女から聞いた日のことを忘れることができない。彼女は何を読んだのかを語らなかったが、聖書のコトバにふれた鮮烈な驚きを手振りを交えて語った。そのときの目の輝きは今でも鮮明に覚えている。
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祈るとは、すでに与えられている現実を見出す営みではないだろうか。人は扉を「たたく」ことで、そこがすでに開かれている事実を知るのではないだろうか。祈るとは発語する行為ではなくて、むしろ、神のコトバを聴く営為ではないだろうか。さらにいえば、人にはコトバを希うことしかできないのではないだろうか。
ー 第八章 祈り - p121~
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