打たれることに慣れない私の心に何かが打撃を与えたとき、また、人間なら誰の生にも多々あるように、不当な何かが、あるいは、そうたやすくは進捗しない何かが起こったとき、あるいはまた、それほど重要とも思えないことが大変な時間のかかる仕事だと分かったときなど、私は閑暇に心を向け、疲れた家畜もそうするように、いつもより歩みを速めて家路をたどります。自分の生をその囲いの中に閉ざすことに、私は決めているのです。そうして、みずからにこう言い聞かせます。
「誰であろうと、それほどの出費に見合う代償を払ってくれない者に私の生の一日たりとも奪い取らせはすまい。精神にはみずからに執着させ、みずからを尊ばせ、みずからの与り知らぬこと、他人の審判を待たねばならぬことは何一つさせまい。また、精神には公私いずれの煩いも超越した静謐を愛させよう」と。
しかし、常ならず雄々しい書物を読んで精神が高揚させられたときとか、気高い先蹤に出会って刺激されたときには、すぐにも中央広場に飛んで行き、誰かには弁護の役目を引き受けてやり、また、誰かには、たとえ無益に終わろうと、少なくとも何かの役に立とうと努める尽力を申し出てやり、また、強運に思い上がった誰かの傲慢を(中央広場で)ひしいでやりたいという気持ちになります。
ー 心の平静について - より p71~
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