「いま」という時点で見える「結果」は、未来を見通すための、それほど確かな根拠となるのでしょうか。
考えてみると、「いま」とは不思議な一瞬です。それは人類史上だれも経験したことのない「いま」であり、一瞬過ぎると、二度と戻ってくることのない永遠の「過去」となる。その「いま」に私たちの存在は釘づけにされており、その「いま」において、なにごとかが新しく起こり、なにごとかが変容していく。
つまり「いま」は、変化しつづける現実の「一瞬の断面」にすぎない、とも言えるのです。
だとしたら、「結果」からの立論、「いま、見えるもの」からの立論は、確かなようで、意外に危うい・・・。見えるものは、いつか過ぎ去ります。
さて、それに対して「原因」からの立論は、「いま」を、未来に起こる出来事の原因として見ます。過去の出来事の結果としての「いま」は、明日の「新しい結果」を生み出す「原因の宝庫」でもあるのです。
地中深く宿された種は、「時充ちて」初めて、見える地表にあらわれます。
そのように、「見える現実」の背後に、いまは見えなくても、深く成長し進行していく「もう一つの現実」が存在しうるのです。その「見えざる現実」を見つめ、そこから未来を見通そうとするのが、原因からの立論です。
それは、見える現実がどんなに暗黒に包まれていても、確かな根拠をもって未来の「希望」を洞察し、確信する眼差しです。
ー 5 教育は「希望に賭ける業」ー p58~
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