わたしたちはいつも被造の世界に向いていて、
ただそこには自由な世界の反映を見るだけだ、
しかもわたしたち自身の影でうすぐらくなっている反映を。または、物言わぬ動物が
わたしたちを見あげるとき、その眼は静かにわたしたちをつらぬいている。
運命とはこういうことだ、向きあっていること、
それ以外のなにものでもない、いつもただ向きあっていること。
もしも、わたしたちにあるような意識が
わたしたちとはまったく反対の方向からやって来る
足取りたしかな動物にあるとすれば、かれらはかれらの進路へ
わたしたちを拉し去るであろう。けれどもかれらの存在は
かれらにとって無限であり、意識の枠がなく、おのが状態に
向ける眼をもたない。それはかなたへ注がれているかれらの眼差に等しく純粋なのだ。
われらが未来をみるとき、かれらはいっさいを見る。
そしていっさいのうちに自己を、永遠にまったき存在である自己を見ているのだ。
第八の悲歌
p65~
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