「コトバ」はときに色であり、音、香りでもある。母語である日本語は言語である共に「コトバ」となって、日本人の意識の奥深くで息づいている。
天心が「茶」「花」と書くとき、それは一般名詞であるよりも美をまざまざと顕わす「コトバ」になっている。
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「意味」はどんな状況下にあったとしても日常の感覚を遊離しない。それは理論の粋にはけっして収まらない。むしろ、意味は、協議の理性の範囲を超え、日常の感情に寄り添うという。この認識の態度は、天心に著しく接近する。彼らは、単に知ることよりもふれることのなかに真実があると信じた。
「実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない」(『茶の本』)ことだ、と天心は書いている。
ー 第1章 岡倉天心とは誰か ー p52
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性格もその境涯もまったく異なる、岡倉天心と山崎弁栄だったが、二人は霊性論において急速に近づく。
その接近の光景は、内村鑑三の霊性論を通じて見るといっそう明らかになる。そこに開かれた道を鈴木大拙が歩き、井筒俊彦が続いたのである。
ー 第3章 岡倉天心と東洋の霊性 - p163
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