一日一文
長田弘 「すべてきみに宛てた手紙」より
手紙 36ーー戦争の言葉
戦争の言葉は、三つあります。
戦争前と、戦争の間と、戦争後の言葉です。
戦争前の言葉は自己本位を正当化し、意味づけと栄光を求めます。
しかし戦争になるや、言葉は意味を失います。いったん戦争が始まれば、そこにはもう、
倒すべき「敵」しか存在しません。攻撃は今は、コンピューターの中の「敵」という目標を攻撃することです。
けれども、「敵」をやっつけるのが戦争ですが、壊れるのは自然であり、失われるのは生活であり、死ぬのは人間です。
言葉は、人間とわかちがたく結びついている。戦争は人間の言葉を、人間のいない言葉にします。戦争の言葉で信じられるのは、無言の言葉だけです。
戦争の言葉は、どうか。
戦争に勝った側にのこるのは、戦争の理念です。戦争の理念というのは、「戦争は解決である」と信じること。
戦争に敗れた側は、戦争の理念を失います。戦争の理念を失うというのは、「戦争は解決ではない」と思い知ることです。
二十世紀後半の世界に生じたのは、宣戦布告もなく、終戦すらない、いつ始まって終わったかも不明な「紛争」です。「敵」しかいない「紛争」には、戦前、戦中、戦後の別がありません。言葉を無意味にする戦闘だけが、全部です。
国境を武力で閉ざし、異なる文化、異なる国々に心を閉ざすのが戦争ですが、昭和の戦争に敗れた日本が手にしてきたのは、「戦争は解決ではない」と思い知った、戦争後の言葉です。
言葉の本質をなすものは、経験をくみあげて、新しい概念をつくりだす力。
今の日本でかつてなく弱まっているのは、経済の競争力のみならず、人間を生き生きとさせる、言葉のもつ普遍的な力です。
一九九九年八月十五日
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