一日一文
『太陽の子』に溢れている涙の優しいきらめきは、まさに生者中心の人々によって過去に埋めこまれ、地底に忘れられてきた死者たちの涙にほかならないと言っていい。いや、それは死者の涙であると同時に、人間に破壊された自然の涙であり、さらに言うなら、幻の繁栄を追い求めて苦悩する人々を、まっすぐに見つめて泣く太陽の涙にほかならないとも言えよう。
ふうちゃんとは、苦悩する人々に涙する太陽の申し子なのである。そして、子どもたちとは、おしなべてみんな太陽の子にほかならないとは言えまいか。灰谷健二郎が、『太陽の子』に打ち込んでいる眼差しは、まことに深いと言っていいのである。自分の生が、「たくさんのひとのかなしみ」に養われてきていることに気づいたふうちゃん。そのふうちゃんは、すでにして自分のいのちが、数知れない生き物たちに養われてきていることに気づいているふうちゃんである。そのふうちゃんは、この生の真実に気づいたとき、自分の机の前の壁に張り付ける小さな紙にどんな言葉を書きつけたか。
かなしいことがあったら
ひとをうらまないこと
かなしいことがあったら
しばらくひとりぼっちになること
かなしいことがあったら
ひっそり考えること
このふうちゃんの眼差しは、まるで優しい太陽のように澄んでいる。そして、このふうちゃんの優しさこそ、まさに子どもたち全体の優しさなのである。
高史明「太陽の子」解説より(角川書店)
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