「耐えがたいわからなさ」という始まり
沖縄の風景そしてそこに生きる人々の顔貌を見、そしてそれらによって見返されるとき、石牟礼が忽然と連れ去られるのは、「今に続いている耐えがたいわからなさ」であり、その耐えがたいわからなさによってこそ辛うじて見出されてくる「国家」というものが強いる無惨さのなかの生の地平である。このとき石牟礼は、沖縄を通じて、「耐えがたいわからなさ」に耐えようとしているとも見えるし、「わかる」ことそのものからその身を反らそうとしているかのようにも見えてもくる。
~
石牟礼が沖縄に依りつつ「戦争と、国家と、人間と」を、その「耐えがたいわからなさ」のなかで問いつづけていったように、沖縄は、そして沖縄を生きようとするものたちもまた、石牟礼に依りつつなお問いを更新していくしかない。わたしたちを追いこんでいるのは本当はなんなのか。追いこまれているのは本当はなんであり、誰なのか。
p215~
ABOUT ME