一日一文 365日

一日一文 272. 若松英輔「西田幾多郎と鈴木大拙、共振する書の世界」より

人は、「悲」のちからとはたらきによって、はじめて小さな「我」を超え、他者と共にある世界を作ろうとする。

大拙と西田を結びつけていたのも「悲」の経験、あるいはその悲しみを生きぬことで感じ始めた「大悲」だといってよい。

大拙の書から感じるのも「悲」であり「大悲」である。大拙が好んで書いた「無」も「大」と似て、その仏教的な意味は、何かが無いことではなく、単なる「有」の彼方の世界を意味する。「無量寿経」に記されているように、人々が悲しむことなき世界を実現するのが、阿弥陀如来の本願であり、菩薩の悲願なのだが、私たちは毎日、耐えがたいほどの悲願に直面している。そうした日常をめぐって大拙は次のように記している。

悲劇は永遠につづく、従って弥陀の本願、菩薩の悲願も、また、永遠に悠久なるものである。(「文化と宗教」)

終わらないのは悲しみの出来事だけではない。それを共に生きようとする菩薩の悲願もまた尽きることがない。悲しむ者は、自分の気が付かないところで阿弥陀仏に近づいている。悲しみこそが、人間を苦しみから救い出す。それが大拙の「霊性」の基盤だったのである。

p5~


ABOUT ME
Gaju。 管理人
Gaju。管理人suzukiです。 管理運営担当しております。 愛猫たち(東風Cochiと南風Kaji)のときの過ごし方から 日々学ぶ今日この頃です・・・。