人の人生は、時計で計ることのできる「時間」と、時計では決して計ることのできない、もう一つの「時」というべきものがある。
水俣病事件は時間と時、二つの次元において、深くその跡を残している。私たちは現実問題としての水俣病事件と、そして過ぎゆくことのない水俣病事件の両方を考えていかなくてはなりません。
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黙禱とういうのは、こちらから亡くなった方におもいを届けることでもありますが、私たちが黙ることで、亡き人々の声を聴くことなのかもしれません。水俣病事件を考えるときに、今私たちが求められているのは、自分のおもいを届けることだけではなくて、語らざるものたちの声を聴くことなのではないかと思うのです。
ー 語らざるものたちの遺言 石牟礼道子と水俣病の叡智 -p174
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